ふろなし生活

郊外のニュータウンから、下町の長屋に引っ越してきました。

熱い湯に入るコツ

風呂屋の湯は熱い。

私の通う銭湯の水温計は45℃を指しているし、下手すると47℃なんて殺人的な高温の風呂屋もある。
家庭風呂ではありえない熱い湯がもたらす健康への好影響は医学的にも証明されている。熱による刺激が「ヒートショックプロテイン」と呼ばれる傷んだ細胞を修復するタンパク質を生成し、体温・代謝が向上して、免疫力を高めるそうだ。銭湯の女将さんの肌がやたらときれいなのはこのせいである。そのあたりは神藤啓司さんの『銭湯養生訓』に詳しいのでご参考に。

とはいえ、熱い湯を求めて銭湯に集う人々の頭にそんな横文字はインプットされておらず、全ては彼らの決まり文句である「熱い湯じゃないと入った気がしない」という、感情論というか、根性論というか、刺激に対する一種の依存症のようなセリフに収束していく。

何も知らない若者が正常な感覚に従ってこの熱い湯に水を注ごうものならたちまち老兵に刺されてしまう。高温しか認めない暗黙の了解は、生まれてこの方半身浴しかしたことのない婦女子やぬるま湯で育った現代男子を駆逐する実に排他的な姿勢であり、銭湯が生き残りのために新規顧客を招き入れる上で大きな障壁となるであろう。
伸び悩むアイドルのライブ会場が古参ファンの独占欲やそこから生じる特殊な空気によって新規ファンに対するバリアーを形成し、古株の愛が大きければ大きいほど当のアイドルそのものの存在は閉ざされていく構造に似ている。

かく言う私も、銭湯生活わずか4ヶ月目にして「熱い湯じゃないと入った気がしない」マンになりつつある。
近くの安宿から入りに来たような若者があついあついと騒ぎ立てているのを横目に情けない、みっともないとバカにするくらいには症状が進行している。
こうやって年を取っていくのかと思うとおそろしいことである。

そもそも熱い湯は苦手だったはずだし、いまだって長い時間は入れないのだけど、毎日の入浴で発見した「熱い湯に入るコツ」がある。
躊躇しないことだ。
足先から少しずつ慣れていこうとか、シャワーで身体を十分にあたためてからにしようとか、そんなことをしたところで熱いものは熱い。
ところが、顔色変えずに進み入って、ふうっと息を吐きながら勢いよく首まで沈んでしまうと、不思議とちっとも熱くない。心がブレーキをかけるだけで、身体は思ったより平気なのだ。慣れるまで待っていては人生終わってしまうよ。

***

誰かと同じタイミングで同じ高温の湯に入ると、どうしても我慢比べのような状況に突入することがめずらしくない。いつもは1分も浸かっていると立ちくらみがするのでサッと上がってしまうが、となりに誰かがいるともう30秒、もう1分とついつい無理をしてしまう。手足がビリビリしてきても、涼し気な表情を崩さないように……

この静かで双方に無益な競争を打ち破る客がいる。
彼はいつもせわしない挙動でやってきて(おそらく知的障害がある)、3つ並ぶ湯船に端から順に指を浸けては「あつい!」また触れては「あつい!」と繰り返す。しばらく困った表情を浮かべたあと、湯船に浸かることをさっぱりあきらめて、熱い湯に耐えながらめまいを起こしている私たちを尻目にすたすたと風呂場から去っていく。こちらもそそくさと、ふらつきながら立ち上がる。

熱いものは熱いと素直に言っていいし、熱ければ入らなくてもいい。
これが熱い湯に入るいちばんのコツなのかもしれない。