ふろなし生活

郊外のニュータウンから、下町の長屋に引っ越してきました。

私の入浴作法

以前の記事で、入浴にはある種の所作が備わると述べた。毎日同じ生活動作を繰り返すことが「日常の中の洗練」に達するのである。
春から風呂のない家に住みはじめて5ヶ月目だから、今日まで130回ほど銭湯に行ったことになる。私の入浴作法はとうてい美しくないけれど、お決まりの入り方を書き出してみたい。
おそらくそれほど人と違うこともないはずなのでおもしろくもなんともないが、これが迷うことなくすらすらと出てきて、なんとなく定まっていったものが思った以上にはっきりと定着していることがわかる。
 
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毎夜11時ごろ入店(営業は1時半まで)。行き帰りの移動(片道3分)を含めて1時間ほど。
 
1.  下駄箱は26(フロ)番を使う。下駄箱の埋まり具合で中の混雑をはかる。
2.  カウンターの当番に回数券を渡す。女将さんかバイトのお姉さんだとうれしい。
3.  のれんをくぐって風呂場をのぞき、不快なほど混んでいたらテレビを見てやりすごす。
4.  脱衣所に入って、26(フロ)番のロッカーを使う。埋まっていたら第2、第3候補がある。
5.  服を脱ぎながら誰が入っているか(おかしい人がいないか)を見る。定位置が空いているかを確認して、空いていなければ座る場所の目星をつけておく。
6.  水分補給をしたか確認して、していなければ洗面所の水を飲む。
7.  イスと洗面器を取る。できるだけ乾いたものを選ぶ。
8.  上座、泡をまき散らしそうな人の背後、嫌な常連(11時半ごろ来店)の定位置付近を避けて席を取る。
9.  イスと洗面器を軽くすすぐ。
10. シャンプー+ボディソープ:終わったら3分程度休む。
11. 3つあるうち最も高温の浴槽に入る。いっぺんに首まで沈んで70〜90秒ほど浸かる。
12. リンス+洗顔:終わったら3分ほど休む。
13. 2番目に熱い浴槽に入る。ジェットバスを当てながら2分ほど浸かる。
13. 歯磨き:5分ほどかける。水下に人がいる場合は吐き出した歯磨き粉が素早く流れるように洗面器にためた水をサッと流す。
14. 3番目の浴槽(低温)に入る。この浴槽は浅く腰掛けられるため、腰まで浸かって3~5分ほど瞑想をする。
15. そのまま1番目の最も高温の浴槽に戻り、30秒ほど浸かる。
16. 手ぬぐいで身体を拭き、使ったイスと洗面器をすすいで元の位置に戻す。
17. バスタオルで身体を拭き、下着だけを履く。
18. ベンチに腰掛けて5分ほどかけて肩と首のストレッチ、足裏のマッサージをする。
19. 服を着て荷物をまとめて脱衣所を出て、テレビを観る。いつも日本テレビがついている。
20. カウンターで挨拶をして帰る。
 
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書き出すまでもなく、風呂に浸かっている時間よりも、身体を洗ったり休みながら考えごとをする時間のほうがはるかに長く充実している。熱い湯に沈んでからの30秒ほどはたまらなく気持ち良いけれど、高温が苦手な私にとってはそこから先は惰性であり、やや苦しくもある。この風呂に浸かっている以外の時間(=空白/余白)の重要性についてはまたの機会にあらためて考えたい。
 
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話が飛躍するが、銭湯で自分なりの入浴作法を持つことは、宗教的な礼拝の所作とよく似ているように思う。
すなわち、礼拝の作法を知っていれば世界中どこの教会やモスクでも国境を超えた共同体の一員として神と向き合う居場所が与えられるように、自分なりの入浴作法を持っていれば日本中どこの風呂屋に行っても程よい緊張感を保ちながらその土地の営みと自分自身に向き合うための居場所を見つけられるのである。
どちらもせわしない日常から距離を置いて、より大きな時間の流れに自らを接続することで人間らしいリズムを取り戻すための大切な行為である。
 
1日5回のイスラームの礼拝は立ったり座ったりを繰り返すが、これがなかなかいい運動になって、仕事の合間に頭がスッキリとするらしい。毎日決まった時間に決まった動作をすることは、心身をニュートラルに戻し、1日をきちんと終わらせるための儀式なのだ。
 
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