ふろなし生活

郊外のニュータウンから、下町の長屋に引っ越してきました。

銭湯で高校生を叱る

毎晩通っている銭湯で高校生を叱ったのを、1週間くらい心に引きずっている。 

 

2人で入りにきた彼らは見たことのない顔だった。 

ぶったまげたことに、洗い場にスマホを持ち込んでいる。ジップロックに密閉して、身体を洗いながら器用にチェックしているのだ。 

これはいけない。ついに聖域が侵された。今や銭湯は都市でスマホの束縛から逃れられる唯一の場所だったのに、ニュージェネレーションはその境界をやすやすと越えてくる。浴室のやわらかな光の中でスマホの画面はひときわギラつき、それがサル同然の現代人にはとんでもない刺激物であることを語っていた。 

 

浴槽へ連れ立った2人は例によってアツいアツいと騒いだ後、縁に座ってまたもやスマホにかじりつく。よく見ると2機のスマホが背中合わせで収納されており、それを全裸の男子がETさながらに両側から人差し指をくっつけ合うように無言でいじっている異様な光景である。

この便利な端末は人間の身体感覚を狂わせる、あるいは乗っ取るおそろしいもので、街を行く人の半分は、うつむいて画面を見つめ、イヤホンで聴覚もとい周辺との距離感やバランスを捨て去り、完全にバカになっているように思う。私たちが生きている街はそんなにも目をそらし耳を塞ぎたくなるような世界だろうか。そうなのかもしれない。 

 

何やら動画を見終わって、再びアツいアツいと湯に水をジャブジャブ注いだ後、半身をサッと浸して上がってきた。座ったのは私のとなり。戻ってきてもアツいアツいと繰り返す2人は、カランの水を全開にして、今度は冷たい冷たいとはしゃいでいる。 心がざわつく。

その水を、どちらともなくピシャッと相手にかけはじめた。嫌な予感。こうなったら止まらないもので、今度は洗面器に水を溜めて勢いよくぶっかけた。 

 

バシャッ!! 

「うわァ、冷てェッ!!」 

1度目。水しぶきが飛びちった。ちょっとかかった。鏡に映る周りの客の表情にもマンガの怒りマークが見える。 

 

バシャッ!! 

「冷てェッ!!ははは!!」 

2度目。温まった足に冷水がしたたる。今度は鏡越しに、背後の客と目が合った。 お前もかかったか?俺もかかったぞ、という一瞬の意思疎通。 

額のシワが隠せなくなってきた。となりの洗面器には3度目の水が注がれている。 

 

「水が周りの人にかかる」というトラブルはこの風呂屋でも最も頻繁に遭遇する類いのものだ。 

あかの他人に対して感情を表現するのに不慣れな私たちの世代はこういう不愉快な出来事を処理するのが得意でない気がするので、先日見かけた同じような案件に対する年長者どうしの、 

「ちょっとォ!ひっかかってるヨォ!」 

「おう!すまねェな!」 

という余りにも後腐れなくさっぱりとしたコミュニケーションにはいたく感激した。 

こういう芸当は若者にはできない。どうするんだろう。こっちもスマホを持ち込んで「銭湯 マナー 水 かかる」と検索した画面を嫌みっぽく相手との間に置いておこうか。 

 

ろくでもない新参者がいるとき、いつも叱ってくれる常連のジイさんというのもやっぱりいて、態度が横柄だったりしてあんまり好きじゃないけれど、自分では見て見ぬフリをしてどこか彼に期待してしまう。 

 

この日は、その人がいなかった。 

 

洗面器はもう満杯。誰かが声を上げなくてはいけない。 

自分がどんなに未熟でも、人を叱らなければならないときが必ずくる。嫌な立場だろうと何だろうと、年を重ねればそれ相応の社会的な役回りを演じざるを得ないのだ。背後の客も、2人をはさんで向こうの客も、みんな30〜40代くらいでどうにも頼れない。順番が今日、自分に回ってきたのだ。あの嫌なジイさんはどうやってたっけ。 

 

バシャッ!!!! 

「つ め た い よ ! ! ! !」 

 

思ったより声が出た……。目を丸くしてのけぞる相手。

  

「……周りにも人がいるから気をつけてね」 

 

ダメだ。寒気がするほど年長者ぶってしまった。あえて声を荒げたけど冷静さは保っている自分、怒ることと叱ることの違いをわきまえてます、みたいな。ああやだ。あの年寄りの爽やかさには到底及ばない。 

 

「アツかったな……」 

「うん、オレ……もう出ようかな……」 

 傷をなめ合うようなやり取りを残して、そそくさと持ち物をまとめて出ていった。ドアが開けっぱなし。立ち上がって閉める。冷えたせいか体が重い。 

 

湯に入り直して、2人が脱衣所から出ていくのを待った。 

反省がぐるぐると頭をめぐってのぼせた。アツいアツいと騒ぎたい。 

怒るって、叱るってしんどい。ジイさん、オレにはまだ早かったよ。いつもありがとう。